認知症の父を83歳の母が介護していましたが、平成23年4月に父を認知症専門病棟に入院させました。
3月11日の大震災以降、父もなんとなく落ち着かない日々が続いていました。4月8日の夜中、父の落ち着きのなさは普段以上にひどく、何度もトイレに行きました。その度に母がついて行ったのですが、床に戻って横になって、「さあ寝よう」と思った途端に、またトイレに行こうすることを繰り返したため、ついに母が父に対して切れてしまいました。
4月9日、私が両親の家に行ってみると、母は寝込んでおり、手伝いに来ていた叔母も、困り果てていました。私は、すぐに都内のホテルに予約の電話を入れ、ふたりに避難を命じました。「このホテルは、山の上にあって、津波にも強いし、お茶も水も揃っている良い避難所だから、今すぐふたりで避難するように。」と話したのです。後から聞いた話では、「この日はホテルで結婚式があり、その中で普段着姿の自分達は本当に、3月の大震災の後、東北地方から避難してきた人のように見られた。」と、母と叔母は笑っていました。
家に残った父と私ははじめのうちは良かったのですが、大便騒動で大変になりました。洋式トイレに座らせた後、父に便が出たかを聞いたら、
「出ていない」と答えたので、それを信じてお尻を拭かなかったのですが、実際には出ていました。着替える意志のない65kgの老人の着替えがこんなに重労働だとは思いませんでした。
母にこの話をしたら、「便座に座らせた時には、毎回必ず、お尻を洗うのよ。」と言われ、納得しました。とにかく認知症の老人をひとりで介護するのは予想外の重労働でした。
この日を境に、精根尽き果てた母は、自分ひとりで父の介護をすることを諦めました。
母が主治医(両親を診てくれている自宅近くの内科の先生)に相談したところ、良い病院を紹介していただくことができました。その病院は、入院期間についても、本人や家族の状況に応じて、融通をきかしてくれる良心的な病院です。長期間待たされることもなくこういう病棟に入院させていただけたのは、本当にありがたいことでした。
父を入院させ、母は身体が楽になったのですが、今度は、「ひとり暮らしが寂しい。」と言い出しました。そのため、叔母に頼んで、母とふたりで一緒に生活してもらうことにしました。叔母は、都内の小さなワンルームのアパートにひとりで暮らし、家政婦として毎日働いて生計を立てていましたが、81歳の叔母も体力の限界を感じていました。そのため、ことはスムーズに運んで、6月から、母と叔母、ふたり一緒の生活が始まりました。母は見違えるほど元気になり、持病の心臓発作も起きなくなりました。
最近は、母と叔母ふたり一緒に、月に2回くらい、父の見舞いに行っています。父の具合は良く、身体は元気で、今はすっかり病棟に慣れて、穏やかに入院生活を送っています。(完)
次号より新シリーズ「世渡りのこつ」を連載します。