カンボジアのジャパンハート(国際医療NGO)医療ボランティアへの参加は、今回で3回目、ラオスを含めると4回目となる。2014年にはじめてカンボジアを訪れたときには、プノンペンの小さなビルの一室を事務所として、活動内容も手作りの地方病院での移動(モバイル)手術活動がメインであったが、2016年にジャパンハート医療センター(2018年にジャパンハートこども医療センターとしてリニューアル: Japan Heart Children’s Medical Center以下JHCMC)を開院後は、地方の村へのモバイル診療や手術活動は一時停止していた。病院での活動も軌道に乗り、2018年5月よりモバイル活動が再開された。今回は、JHCMCから35km離れたメコン川のほとりの田舎町にあるロカカオン病院で、2019年2月12日~16日間の5日間、モバイル手術活動を行った。今回の活動には、私以外に、卒後5年目の外科医師石井俊、病棟ナース八木里恵、手術室ナース芦名里礼の4人の東京逓信病院チームで参加した。
事前に、現地スタッフや日本人ボランティアが診療活動を行い、手術の適応となる患者を集め、手配を整えてくれていた。驚いたのは、以前には新人だった、現地看護師スレイトーチがチームリーダーとなり、同じくピエンが麻酔をかける資格を持つ看護師に成長を遂げていたことであった。のどかな田舎町のゆったりとした雰囲気の中、皮膚の腫瘤、鼠径ヘルニア、痔核、痔瘻など1日5件程度の手術をこなしていった。そんな中、44歳の男性が村人の助けを借りながら担ぎ込まれてきた。意識は朦朧とし、血圧も低くショック状態で、体温は40度を超えていた。診察すると肛門の周囲が赤黒く腫れ上がり、肛門周囲膿瘍の状態であった。聞けばアルコール依存症で、糖尿病がひどいという。急速輸液を行い、緊急のドレナージ手術を行う必要があると考えられたが、万が一、ここでそれを行うと、術後の全身管理に手を取られ、残りの予定手術が滞ること、モバイル手術のため、人手や医療機材が最低限であることから、高次の医療施設への搬送も考慮された。しかし、彼の家族は、医療を受けさせる金がないので、ジャパンハートでの治療が駄目ならあきらめるという…そこへカンボジア人スタッフから、「JHCMCまで搬送して、そこで手術してはどうでしょう?」と意見がでた。その日の残りの手術をやりくりして、スタッフ移動用のワンボックスカーに、患者とその妻を乗せ、すし詰め状態で、40分の悪路を移動した。JHCMCでは常勤のスタッフが待ち構えており、速やかに手術室に搬送された。麻酔はもちろんピエンの担当である。切開すると、物凄い悪臭を伴う膿が大量に排出された。術後はショック状態が遷延し、敗血症治療を行っても、無尿の状態が続き、危険な夜を過ごすこととなった。ようやく翌日には尿が出始めて、回復に向かった。その後は、アルコール離脱との戦いが続いた。
ジャパンハートのカンボジアでの活動は、2008年から始まった。11年目を迎える今、その活動は現地に根付き、参加する日本人医療者のみならず、カンボジア人の医療者を多く育てている。今回の患者への対応が、カンボジア人スタッフからの提案から始まっていることに、その成果を感じさせる。いずれは、カンボジア人によって病院が運営されるようになるだろう。また、今回、一緒に参加した3人にとっても、アジアの貧しい人々が抱える医療事情を知り、今後の国境を越えた人と人との命の架け橋となってくれると信じている。
帰国後の2月26日、カンボジアの日本人看護師藤井さんから、メールが届いた。「あの患者さんが昨日、退院したんですよ。」満面の笑みを浮かべるあの患者の写真が添えてあった。この笑顔を見るために、この仕事をしているんだなあと熱いものがこみあげてきた。