暑い夏がようやく終わり過ごしやすい季節となってきました。
先日、現代思想の入門書を読みましたので、今回は哲学と医療についてのお話をいたします。「構造主義」という言葉を聞かれたことがあるかと思います。レヴィ=ストロースというフランスの思想家は、人間社会の分化的な仕組み(構造)を明らかにしようとしました。一方、その後に登場したデリダ(仏)らの思想は「ポスト構造主義」と呼ばれます。デリダは真と偽、善と悪、男と女などの二つの対立する概念(二項対立)に対し、その「プラス」と「マイナス」を決めつけることなく保留するやり方を唱えました。それらの対立的な枠組みは、ある価値観(考え方)により、一方が正しく、他方が間違いだと思われがちです。しかし、価値観が多様化した現在、それは絶対ではなく、ズレや変化があり、両者のグレーゾーンにも目をむける必要があるという考えです。簡単に言ってしまうと、常識を疑え、ということだと思います。
医療のテーマでこの二項対立を考えてみましょう。まず健康と病気、そして正常と異常について。常識的には、人間にとって健康が「プラス」で病気は「マイナス」と考えられます。病気を探し出す目的で、健康診断やがん検診が行われますが、ここで正常範囲から外れる数値があった場合、二次検査に進むことがあります。早期がんなど、早く治療することが利益になる場合も多いです。しかし、軽度の異常がある場合に過剰な検査をすることにより、受検者の心配が増したり、不利益が生じたりすることもあります。また、病気が見つかった場合に、治療による利益とそれによる副作用や費用負担を考えなければなりません。治療をするかどうかは、患者さんの年齢、元気さ、仕事との関係、希望、考え方などから決めることになります。異常だから検査する、病気だから治療する、とは一概に決められないことを申し上げています。
また、最近「発達障害」という言葉が広く使われるようになりました。脳機能の発達に障害があり、社会生活やコミュニケーション能力に難がある場合の呼称ですが、集中力や能力が通常より高い場合もあります。発達障害というレッテルを貼って疎外すること無く、適所を用意することでその方の能力を発揮することができるかも知れません。何が正常で何が異常かは決めつけられない例だと思います。
他には、医療の枠を超えて「LGBTQ」についての問題もあります。どのような性的指向を持つ人も法的には平等であるとされながら、実際には性的にマイノリティー(少数派)な方々に対し、残念ながら社会的な不利益は存在すると思います。性的な多数派と少数派という対立も「普通/異常」という分け方では語れない多様性です。我々医療者もこの問題については十分な意識と理解が必要です。

医療や社会における二項対立についていくつかの例をあげてみました。ポスト構造主義の考えを頭のすみに置くことで、社会常識にとらわれず、少しでも柔軟な考え方ができるのではないかと思った次第です。皆さまの生活のヒントになれば幸いです。